志のチカラ

僕の靴は「日本の靴」 だから世界で戦える 舘鼻則孝氏 デザイナー。米女性歌手レディー・ガガが愛用する「ヒールのない靴」。その作者は若き日本人デザイナーだった。舘鼻則孝さん。顧客はほぼ外国人だが、完全受注生産の靴を求めて青山にある彼のアトリエまで足を運ぶ。高校時代にはすでに「世界で活躍する」との志を抱いていた舘鼻さんは、その後、何を考え、どう行動したのか。

舘鼻則孝(デザイナー) 1985年神奈川県生まれ。東京・歌舞伎町で銭湯を生業とする家系に生まれる。父は会社経営者、母はシュタイナー教育に基づく人形づくりの講師。15歳から洋服や靴の制作を独学で始める。東京藝術大学では染織を専攻、花魁を研究するとともに、友禅染めを用いた着物や下駄を制作した。2010年、自身のブランド「NORITAKA TATEHANA」を設立。花魁が履く「ぽっくり下駄」をモチーフとした「ヒールのない靴」は、米女性歌手レディー・ガガや英女優ダフネ・ギネスなど多くの海外著名人が愛用する。

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「海外で活躍するデザイナーになる」と決意した高校生
日本人のアイデンティティがなければ生き残れない
「日本の靴」を求めて海外から顧客が訪ねてくる

「海外で活躍するデザイナーになる」と決意した高校生

──レディー・ガガが履いたことで注目された「ヒールのない靴」は、どのようにして生まれたのでしょう。とてもインパクトのあるデザインですね。
レディー・ガガが履いたことで一躍世界の注目を集めた「ヒールのない靴」。江戸時代の花魁が履いていた「ぽっくり下駄」から着想した独創的なシューズは、いまや舘鼻さんの代名詞となっている。<br>
レディー・ガガが履いたことで一躍世界の注目を集めた「ヒールのない靴」。江戸時代の花魁が履いていた「ぽっくり下駄」から着想した独創的なシューズは、いまや舘鼻さんの代名詞となっている。
"Crystal Rose" Courtesy by NORITAKA TATEHANA

舘鼻:あれは、江戸時代に花魁が履いていた「ぽっくり下駄」を、現代に置き換えたものなんです。ぽっくり下駄というのは、底の厚い、いわゆる高下駄ですね。

 高校生のころから考えていたんです。日本人として世界で活躍するファッションデザイナーになるためには、伝統的な日本文化をしっかり勉強して、それを自分のアイデンティティとする必要があると。東京藝大で染織を学んだのも、そのためです。

 そうして、過去の日本文化を踏まえたうえで、現代の日本のファッションを提案する。僕は現代の日本を表現したいんです。現代の日本はこんなにかっこいい文化が育っていて、素晴らしい美意識が育まれているというのを、海外に紹介したい。そして、僕のやりたいことは前衛的、アバンギャルドなファッションでもある。そこで、花魁だったんです。花魁は、江戸時代のファッションリーダー的な存在です。現代でいえばレディー・ガガのような。そう思ったとき、目に止まったのがぽっくり下駄でした。ぽっくり下駄を、洋服を着ている現代の日本人に合うよう進化させたのが、あの形なんです。

──高校生のころから「海外で活躍したい」と考えていた。それほど早いうちから海外を見据えていたのは、何かきっかけが?

舘鼻:15歳から服や靴を独学でつくり始めました。いまでこそ靴のデザイナーとして知ってもらえるようになりましたが、もともと僕がなりたかったのはファッションデザイナーなんです。「洋」服の本場は当然現在ではヨーロッパ、アメリカでしょう。じゃあ海外に出ないといけないな、というだけのこと。和服を極めるなら日本にいてもよかった。

 そこから「海外に出るためには何が必要か」、具体的に考えるようになりました。しょせんはまだ海外に行ったこともない高校生が考えたことですから、ぜんぶ推測なんですけどね。いろいろ調べてみて分かったのは、日本人は、欧米の文化であるファッションから高い壁で隔てられているということ。いまでもヨーロッパのファッションブランドに日本人デザイナーが切り込んでいくのは難しい。

 勿論、海外で評価される日本人デザイナーもいました。コムデギャルソンの川久保玲さんに、三宅一生さん、ヨウジヤマモトさんなどですね。彼らに共通しているのは、日本人であることをハンデにせず、逆に日本人であることを武器にしていることです。じゃあ僕も日本のことを学ばなくちゃと思って藝大に進学したわけです。

──藝大で染織を学んだ舘鼻さんが、卒業直後にご自身のブランド「NORITAKA TATEHANA」を設立するまでの経緯を教えてください。

舘鼻:大学では友禅染の着物や下駄をつくっていました。でも、家に帰ってつくるのは相変わらず靴や服でした。自分の将来像に近いのはそっちのほうですから、何しろ楽しかった。大学で学ぶ染織は、「海外に出るために必要なこと」という気持ちでしたね。だから、いつも「早く家に帰って制作したい」と思っていましたよ(笑)。

 でも、一度は大学で「自分が本当にやりたいこと」がどう評価されるか知りたいと思って、花魁下駄からのインスピレーションの「ヒールのない靴」を卒業制作として提出したんです。でも……なんだか反応が悪いわけです。それまでつくっていた着物や下駄は褒めてくれた先生が、「よく分からない」という。要するに先生たちのアンテナ「圏外」だったんでしょう。大学の、つまり日本の尺度に合っていないモノだったんです。

 でも僕は、自分の作品に自信があったので、これで世に打って出ようとすぐ動きはじめました。自分のブランド「NORITAKA TATEHANA」の展示会を企画して、世界のファッション関係者にメールで売り込みをしたのも、卒業直後のことです。作品の写真をメールに添付して、英語で3行ぐらいの短いプロフィールを書いて送信。もちろん何のコネもないので、アドレスを公開しているスタイリストなどへ一方的に送ってみたんです。100通ぐらいは送りましたが、そのうち返事が返ってきたのは3通だけ。でも、そのうちのひとりが、レディー・ガガの専属スタイリストだったんです。

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日本人のアイデンティティがなければ生き残れない

──レディー・ガガが履いたことで、舘鼻さんの靴は一躍脚光を浴びました。その後すぐ「NORITAKA TATEHANA」ブランドは軌道に乗ったのでしょうか?
舘鼻さんのアトリエで行われた今回のインタビュー。「日本人のアイデンティティ」を最も重要視する同氏の靴を「本場」までもとめに、世界中からこの青山のアトリエまでお客さんが来るのだとか。

舘鼻:ガガのスタイリストから返事がきたときは「よし!」と思いましたよ(笑)。でも、その後すぐに軌道に乗ったかというと、違うんです。

 僕が世に出るきっかけをつくってくれたのは、確かにガガです。彼女が僕の靴を履いてくれたことで僕の名前は世界中に知られました。スタート地点を高い位置でもてたということはその後の活動においてとても重要でした。

 それにガガがあれだけ宣伝してくれたら、すぐに他の人からもオーダーがくると思うじゃないですか。でも、そうとも限らないんです。正直、ブランド設立から1年ぐらいはきつかったですね。このままいけるのか、と。

 でも、気づけば僕は、こうして生き残っています。ガガはいろんな若手デザイナーの服やアクセサリーを身につけていますから、僕以外の日本人も一時は名前を知られるようになりました。でも、いまではほんの数えるくらいしか残っていない。

──ご自身では、そこをどう分析されていますか。なぜ、ファッション業界で、日本人の舘鼻さんが生き残ることができたのか。

舘鼻:ひとつには、出会いに恵まれたことです。最初に靴を履いてくれたのはガガですが、最初に靴を買ってくれたのは、ニューヨークのファッション・インスティチュート・オブ・テクノロジー(FIT)という大学の美術館。そのFITのキュレーターの方に、ファッション業界のさまざまな方たちを紹介してもらいました。特によい出会いだったのは、イギリスの女優でファッションアイコンのダフネ・ギネスさんを紹介してもらったこと。

 ギネスさんが現れたことで、自分の靴をどんな人が履いてくれるのか、何となく見えてきました。ガガは確かに強い影響力をもっていますが、海外のガガファンは10代が中心で、僕の靴のお客さんにはならないんです。逆に、僕の靴を買ってくれるのは、ダフネさんのような40代以降の、経済的にも豊かな人たちだと分かりました。

 あと、「一歩前に出たい人」ですね。自分が自分でありたい場所をもっている人ともいえるかもしれません。日本人が僕の靴を見ると、「履いていく場所がない」「パーティにも行かないし」と言う。でも外国人は、履いていく場所がなければ自分でつくってしまうし、他人の目なんて気にしない。こんなにヒールが高いのに、「かかとのあるハイヒールよりも快適よ」だなんて言っています。(笑)

──なぜ海外から、それほど高い評価を受けられたのでしょう。舘鼻さんの作品と、ほかの日本人デザイナーの作品とは何が違ったのでしょうか。

舘鼻:それが、僕が生き残れたもうひとつの理由だと思います。なぜ、僕の靴を美術館が買ってくれるのか。なぜ、外国人のお客様ばかりなのか。なんでアメリカ人のガガが、日本人の僕の靴を気に入ってくれたのか。海外で活躍しているほかの日本人のデザイナーと僕に共通するのは何か。

 答えは、やっぱり日本人のアイデンティティ、文化的な価値があるかどうかなんです。それも、昔のものを掘り起こすだけに終わらず、それを前進させ、現代の日本を表現する作品になっているかどうか。海外で日本人が地位を確立しようと思ったら、それがないとダメなんです。

 要するに、僕が高校生のころに考えていたことは間違っていなかったということが分かったんです。それからは、自分がどう進んでいくべきか、迷わないで済むようになったと思います。「こうするとよい」という王道はないですし言葉にするのは難しいです。でも、言葉にできないにしろ、「自分は日本人である」ということを作品として打ち出せるかどうかが、何より大切だと思います。

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「日本の靴」を求めて海外から顧客が訪ねてくる

──普段、海外と仕事をするうえで、舘鼻さんが心がけていること、工夫していることは?

舘鼻:海外で「日本人らしさ」が評価されている僕のような人間は、なんというか、無理して海外に合わせないほうがいいんです。むしろ、より「日本的」になったほうがいい。それこそが、まさに評価してもらっている部分なんですから。

 お客様のほとんどは海外の方です。一番多いのはアメリカ。それからイギリス、フランス、北欧も多いですね。アジアなら香港、韓国でしょうか。でも僕自身は、海外にそう頻繁に出るわけではありません。お客様は、僕の靴が買いたいというとき、ここ青山のアトリエまで来てくれるんですよ。彼らにしてみたら、僕の靴は「日本の靴」。当然、ここ日本が「本場」になるんです。本物の日本刀が欲しいと思ったら、アメリカで買う人はいません。みんな日本で買いますよね。それと同じです。僕が扱っているのは、ヨーロッパやアメリカではなく、ここ日本を本場とする「日本の靴」なんです。だから僕も、日本人として振る舞えばいい。

最近はビジネス系の講演などでも声がかかるようになったという舘鼻さん。鋭利なアーティストとしての感性と、クールなマーケターとしての視点を併せもつ若きデザイナーへの注目度は日増しに高まっている。
──最後に、制作面でこだわっている部分を教えてください。

舘鼻:完全受注生産、制作はすべて青山の小さなアトリエで行いますから、年間20足つくるのが精一杯です。お客様一人ひとりに対して、オンリーワンの作品をつくる。お客様が100人いたら100通りのデザインがあります。でも、それを難しく考えることはありません。僕の作品は、僕とお客様とのコミュニケーションの間に生まれるものだと思っています。日本人デザイナーとして何を打ち出すべきか、ベースになるところは決まっている。あとはお客様を目の前にしてコミュニケーションが成立していれば、勝手にアイデアがわいてくるんです。そして、お客様に作品を届けられたときが何より嬉しい。僕が仕事をする原動力はそれですね。

 いまは、ファッションに特化した仕事、靴の制作に関する仕事が多いのですが、それは半面、その範囲のお客様にしか出会えないということでもあります。今後は、写真、アートディレクション、プロデュースの仕事にも進出していきたい。そうしたらもっとたくさんの人と出会えるし、作品の幅も広げられると思うんです。

 でも、軸はいつも「自分は日本人である」ということ。何をするにせよ、そこから始まるんです。

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